10:44 AM

日々

妊娠しました(妊娠初期振り返り)

どれだけこのブログを放置していたんだって感じですが、1月12日の婦人科通院で妊娠が発覚しました。それまで妊活で散々苦しんでいたので、ホッとしながらも「新たな闘いのゴングが鳴った」と感じたのを覚えています。

メーカー的に言えば、お客さんから受注はしたけどリードタイム10ヶ月、しかもその後日本語すら通じない顧客のクレーム対応を24時間体制でオンコールで行い、更に20年ぐらい面倒を見ないといけない訳です。人生で最長の工事です。しかし受精の段階で既に設計は終わっているのが面白いところですね。

 

妊活中は2度ほど精神を強烈にやられました。

1度目は呪術廻戦に出てくる漏瑚さんの如く火を吹く勢いで爆発して散財し(コロナ禍のストレスもあったと思う)、2度目は32歳の誕生日(12月27日)。消し炭のようになっていました。「今年も妊娠できなかった…もう疲れた、生きたくない」などと呟いていました。おそらくその頃には腹の中に新しい生命がいたのですが、できて10日とかの妊婦にそれがわかる訳がない。

 

妊娠初期のことを書きます。最初の3ヶ月ぐらいですね。

とにかくずーっと気持ちが悪くて、身体を起こしていられなくて、横になっていると気がつくと眠っているのがデフォルトでした。実際に吐きはしませんでしたし、本当に酷い方は全く何も食べられず点滴で栄養補給するらしいので、軽い方だったのかもしれません。プリンペランという吐き気止めを婦人科で処方してもらいました。

また、眠気悪阻というか、とにかく抗いがたい、通常の眠気とは異なる強制睡眠状態が続きました。パソコンに向かえないため、仕事も何もできません。この時、「仕事をクビになろうがなんでもいいや。私と赤子と夫さえ無事でいればいいや」という境地に達しました。

 

よく「男の子?女の子?」と聞かれますが、病院側の方針で出産まで明かされないため、私も産んでみるまでわかりません。

 

人生の半分を精神疾患により死にたがり屋として生きてきた人間にとって、「新たな命を生み出すのは大罪」と思っていました。

私自身は一生夫と2人でいられればいいや、と思っていたのですが、夫がハッキリ「子供が欲しい」と言い出したのが私が30の時。

休職と復職を繰り返して、ついに心が折れて退職を決意したのが2019年。その時私は30歳で、(結婚は26歳にしたけど)それまではキャリアをなんとか継続できないかと産むか否かの判断を保留にしていましたが、それ以上先延ばしにしたくない気持ちがありました。産まなくてもいいけど、産むなら早い方がいい。

正直、持病の遺伝は恐怖だったし、今でも恐怖です。たとえ全く同じ病気が遺伝しなくても、関連性のある病気が遺伝するリスクは人より高い。しかし、夫は「絶対大丈夫」と言いました。

世界で一番愛している男性が子供を欲しがっている、しかし彼は現代の技術では妊娠できない…となれば、私が妊娠して出産するしかありません。

 

また、2019年1月に甥と姪(双子)が誕生し、私はメロメロになり、それまで子供は苦手だったのに、全世界の子供が可愛く見えるようになったのも大きいです。彼らを生み出した弟夫婦には尊敬の念しかない。何よりも面白いのは発達過程。ただ上を向いて寝ていただけの赤ちゃんが、いつの間にか寝返りをうち、ハイハイし、自分で座り、つかまり立ちをして、立って、歩く。ほんの少しずつ彼らの世界に言語が入ってくる。(言語以前の世界を、大人になった私はもはや想像できない。)

 

という訳で、妊活を始めました。最初はこの言葉も嫌いでした。「妊活中?」という質問は「中出しセックスしてんの?」と同義だからです。しかし、親族を安心させるのにこの言葉は大変便利です。欲しいんだけどできてないだけ、と遠回しに言えるから。

 

※子供を望んでいない状態の女性へのアドバイスですが、中出しは別に気持ち良くないし、後処理が本当に面倒くさいし(タオルなど敷いておかないと布団が汚れる)、精液には子宮を収縮させる作用があるのでその後鈍痛が下腹部を襲います。子供を望まないならきちんとコンドームをしましょう。

 

妊活を始めれど、すぐに授かれる訳もなく、排卵日検査薬も毎月使ったけどダメ。婦人科の先生曰く、あれは排卵に伴って脳から出るホルモンを測っているそうなのですが、実は排卵でなくても脳からホルモンがダラダラ出続けている人はおり、基礎体温と照らし合わせながらであれば使えなくもないけど、と言われました(ガーン

「あなたは生理が長い(1週間以上続く)のだから、終わったらとにかく回数を重ねなさい。排卵日は確かに一番妊娠の確率は高いけど、それ以外の日も妊娠するから」と医師からアドバイスを受けました。

結果授かったので、良かったんですが…

 

私は元々精神疾患持ちですが、やはりというか、妊娠中メンタル面での不調もありました。(今もあります)

「お前のような浅ましい女が妊娠するなんて」

「赤子共々死んでしまえ」

と耳元で死神が囁くのです。これはキツかった。

 

予定日は9月17日。愛せる自信はあるけど、育てるだけの体力に自信がありません(笑)

しかし自分がプロジェクトマネージャーになったつもりで、自分一人で抱え込まずに色んな人の手を借りながら育てていければと思っています。

 

 

 

〜本厄総仕上げ〜“We’re be alright”で”Rain On Me”な年末

突然ですが、厄年って信じますか?

私は信じています。前回厄年(数えで19)の時、人生がこれ以上ないほどドン底だったからです。

「迷信」とおっしゃる方もいますが、まあ…ずっと元気で健康な方はそれでいいんじゃないですかね…

母は「まあだいたいこの辺りで人生ガタが来るよ」という昔からの知恵であると言います。

 

私は1988年生まれ辰年、今年が本厄です。
2020年は新潟の白山神社での厄払いで始まりました。

f:id:Kailin:20201204002419j:image

 

最近の私の生活観(人生観よりもっと短いスパンのもの)はアリアナ・グランデのBe Alrightです。私は藤井風さんのカバーで知りました。とても良いカバーで、かつ日本語訳付きですのでどうぞ。


Be Alright - Ariana Grande (cover)

本家はこちら。CD音源よりライブの方が断然いい。ただ、これだけ長い紐のついた服を着ながらピンヒールで踊っているので、ひっかかってコケないか心配で歌に集中できない(笑)


Ariana Grande - Be Alright (Vevo Presents)

 

Baby, don't you know

分かってるでしょう

All them tears gon' come and go

どんな涙も来ては去ってゆく

Baby, you just gotta make up your mind

ただ心の中で決めておけばいい

We decided

私たちは決めたんだよ

We're gonna be alright

私たちは大丈夫だって

 

…という訳で、まあアップダウンはあるけど、最終的にまた良い感じの時間が訪れればいいんじゃない??一時的に悪くなってもきっとまた良くなるよ…たぶん。って感じです。

 

これは実の両親、義両親、そして夫が比較的健康で、私は私の健康だけを心配していればいい、しかも家族のおかげで住む家とご飯には困らないという幸運に恵まれているからこそ言えることです。有り難い、と書いてありがたいと読みたい。

 

閑話休題

 

さて、今年は健康面で色々ありました。新型コロナウイルスに感染したかは不明ですが(無症状で無自覚なまま治ってしまった可能性はある)、様々な方面での体調不良のオンパレード。

 

・お尻の穴から血が止まらない→固形物を取るのをやめて数日間点滴を続け、塗り薬で凌ぎつつ大腸内視鏡検査→癌ではなかったし、薬で血が止まったので結果オーライ。

 

大腸内視鏡検査はキツかった。まず、準備がキツい。

朝から2Lもの下剤を飲み続けなければならないのだ。

f:id:Kailin:20201204220849p:plain

頻繁に大腸内視鏡検査を受ける人を尊敬するようになった

そして実際の検査は、私の人生史上最も痛い検査だった。麻酔を希望したのだが一切効かず、「人によっては効かないのよね~」などと検査後に看護師さんに言われ、「なんやねんそれ(怒)」と思いながら、麻酔を使った故に更に長い時間点滴を受けなければならなかった。 

f:id:Kailin:20201204220718p:plain

大の大人が呻きまくる地獄絵図

 

・腹痛が止まらず何日も何週間も寝たきり。内科に行き、最初胃薬で対応、それでも治らないのでエコーと胃カメラで検査。胃カメラは異常なし。エコーで胆嚢に泥のようなものが見つかったため大きな病院でMRIを受け、胆嚢の壁に石灰質のものが出来ているが、経過観察でOKとなった。

個人的には胃カメラを鼻から入れていく際に、看護師さんが後ろから背中をさすってくれたことに驚いた。リラックスしていないと管が喉を通っていかないからなのだろうが、なんだこのサービス。個人的にはホッとしたので看護師さんには感謝である。

主治医曰く、検査をして何も問題がなくても胃痛が続くことはあり、ストレスなどで胃腸が普通とは異なる動きをしてしまい痛みが生じることが多い。そうなると、対症療法しかない

f:id:Kailin:20201204221828p:plain

どうしようもないね!

・不正出血が止まらなくなった。エコーで見て問題はないが、女性ホルモンの動きが乱れているようなので出血剤で血を止め、ホルモン剤で女性ホルモンの動きをリセットして無理矢理次の生理を起こさせた→現在はなんとかなっている

 

・肌トラブルがこの一年でいきなり酷くなった。全身が痒くなり、顔へのスキンケアは尽く沁みる。顔に細かいブツブツができ、毛穴が急激に開き、ニキビができては消えてゆく。

→皮膚科に相談。痒み止め兼アレルギーの薬(錠剤)と、痒い時に吹きかけるスプレーをもらった。美容皮膚科を勧められたが高額すぎてそちらは断念。

痒みについては止まった。個人的に色々調べ、ノンコメドジェニック(ニキビができにくいかのテストをパスしたもの。高価な試験のため、宣伝文句として強力で、パスしたらほぼ必ず記載がある)のスキンケアや日焼け止めを使うようになった。

 

・アレルギー性結膜炎とドライアイのダブルパンチ。目が沁みてしょうがない。→内科でアレルギーの血液検査(39種類へのチェック)→特に検査で問題は見つからず、アレルギーの薬と目薬で治る

 

・不眠はひどいし、眠れた日は過眠になるし、特に23:00~3:00は魔の時間帯で、自分を責める声が頭の中に鳴り響き、酷い場合「殺せ」という声が鳴り止まない。かといって仕事もできない。いい時間の潰し方を探している。(イヤホンでラジオ形式の数十分の音源をダラダラと流したりしている)

 

・【最新】頭痛が止まらない。常に頭皮が引っ張られている感じ。仕事が手につかない。歯医者さんで睡眠中の食いしばりが確認できたため、マウスピースを作ることに。(※食いしばりは頭痛に繋がるのです)(寝ている間のことなんてどうしようもなくない?)

お腹が緩く、気分が悪い。吐き気にも近い。内科で胃薬と頓服を処方してもらってやり過ごしている。

仕事も、びっくりするほど進んでいたのが再び急ブレーキがかかった。頭が痛すぎて、頭を使う作業が一切手につかない時間が多い。

今日はびっくりするほど気分が良かったので、クライアントに初稿を提出しました。

 

驚いたのは妊活中というだけで飲めなくなる薬が多くなり、治療の選択肢が大きく限られると言うこと。持病に関しては、(最初から若い女性に妊娠禁忌の薬は出さない方針の医師だったが)妊活を始める段階で、妊娠に関するエビデンスの少ない新薬は避け、可能な限り減薬してきた。医師と相談の上、準備に準備を重ねてきたと言える。

だが、正直他の診療科でここまで制限を受けることになるとは思わなかった。

 

「産むなら若いうちに産んどけ」とはよく聞くが、身体の他の部分で大きなトラブルが起きないうちに産んでおくと楽だよ、というのも含まれるのかもしれない。とはいえ、大学時代以降完璧に健康だったことなんて記憶にないし、妊活すれど赤ちゃんはまだやってきてくれないのでどうしようもない。ただ、これまでは持病だけで徹底的にボコられていたのが、多方面から殴られるようになったような感じだ。

 

まさしく本厄総仕上げ。お祓いに行ってもこれだから、行かなかったらもっと酷かったんだろうとポジティブに捉える。

今の気分は、ガガ様のRain On Me.「何事もなければ一番だけど、残念ながら生きているんだ。もう何でも降ってこい、かかってこいやー(超訳)」


Lady Gaga, Ariana Grande - Rain On Me (Official Music Video)

 

ということは、来年は後厄です。しかも次の本厄は数えで37歳…で前厄は36歳。女の30代は厄だらけ。

ちょ、2年しか休憩なくない?

その代わり、その後は女性は厄年は来ません。ちょっとホッとしますね。

 

【医療従事者のみなさま、本年は大変お世話になりました。引き続きよろしくお願いいたします】

f:id:Kailin:20201204223451p:plain

 

私の呪いを解いた一人のドラァグ・クイーンの話

かつて私は、メイクを極端に忌避していた。

その呪縛を解いた一本の動画がある。


ドラァグ・クイーンの劇的変身メイク術。| VOGUE JAPAN

 The bigger the lash, the bigger the eye, the bigger the character, the bigger the laughs from the audience.
「睫毛が長いほど、目が大きいほど、キャラが強烈なほど、観客からの笑いは大きくなるものよ。」 (4:17から。拙訳)

ダンス教室の先生もされているので、子どもたちを育てることに関しても発言されています。

I teach children every day, "Don't dream it, be it." 

毎日子供たちに教えているの、「夢は叶えるもの」だって。(4:09~)

I think the greatest thing about drag for me is I had the oppportunity to inspire others. Everyday I’m beyond belief it is my focus to inspire, motivate and mentor these children.The youth of today in the future of tomorrow. I want to instill the love and the goodness to become a great and fabulous human. I mean our society needs it.

(3:07から)

 

見るだけで元気が出てくる動画です。

多分再生数の20回ぐらいは私だと思う(笑)

 

この人のメイクの好きなところは、素の眉毛を活かしているところ。
結構ドラァグクィーンの人は糊を使って眉毛を隠して、自眉とは全然違う眉毛を描く人が多いのです。

 

このドラァグクィーンと出会って、私は自分の人生が変わりました。ひとつひとつの言葉が落ち着く。往年の女優風ローブを着て、大きな扇子を持ってお化粧したっていい。

メイクはアート。

 

その名はアリッサ・エドワーズ。Always and forever.

 

メイクが進むにつれて、

"Ok, she's here. She has arrived."と別人格が降臨してきているのがわかる。どこかでスイッチが切り替わっている。

 

 

"Morphing into this character, I feel like now  I can conquer the world."

「こうやって変身すると、世界を征服できる気になるの。」


"Stand tall, live my life and seize the moment."

背筋を伸ばして、自分の人生を生きて、今この瞬間を掴むの。

 

私もそう思えるようになりたい。

「あなた方の中に、祝福されない言語はありますか」- The Irish Language and Beauty

言語は歴史、生活、習慣、文化、遺産、社会、魂…その他ありとあらゆるものを映し出し、また逆に影響を与えるものです…と、わかったように言っていますが、私自身、日本語について調べれば調べるほど、そして中国語を学べば学ぶほど、言語というものについて考えさせられます。単なる伝達の手段だとは到底言えないのです。

 

更に、私は台湾語という台湾のローカル言語(中国語とは全く違うもの)も話せるようになりたいと考えています。元々は中国の福建省あたりの方言が台湾で独自の進化を遂げたものですが、北部よりも南部で話され、若い人よりも年配の人の方が話します。台北の若い人には、台湾語を(片言を除いて)話せない人も少なくありません。

中華民国政府により、かつて学校では台湾語を話すことが禁止されていた時代がありました。最近では台湾語の重要性が見直され、小学校で教えられているようです。

 

言語とは一体何なのか。

ネイティブスピーカーの減少が深刻で、絶滅が危惧されている言語、アイルランド語に関するTEDの動画をご紹介いたします。

ちなみにアイルランド語のネイティブスピーカーは、国民の約2%です。


The Irish Language and Beauty | Dónall Ó Héalaí | TEDxBerkeley

全編英語、日本語字幕なし。自動生成の英語字幕はありますが、アイルランド語の部分については綴りがアテにならないと思われます。

今回も、日本語にて内容を書いていきます。アイルランド語の響きや、途中出てくるアイルランド語の歌については日本語の文字では伝えられないため、たとえ英語の聞き取りに自信がない方でも、良かったらこの記事を読んだ後に動画を見てみてください。

 

私は、自分の言語の優位性に無自覚な人間が嫌いです。私自身そうかもしれないので、自戒を込めての発言ですが。
2011年、初めて就職のために関西に引っ越してきた時に、大阪出身の同期が言いました。

「標準語?東京弁の間違いやろぉ」

細かいことを言えば、彼の発言は間違っています。標準語は確かに東京地方で話されていた言葉をベースに作られましたが、「東京弁」や「東京方言」と現代で言う時は、「山の手言葉」(ごきげんよう、ざ(あ)ます、あそばす)や「江戸言葉」(下町言葉ともいう。べらんめえ調など)を指します。いずれも標準語とは異なるものです。

まあ、そんなことは別として、関西人が関西弁を日本中どこでも話し、場合によっては海外ですら話し続けるのは、「関西人としての誇りやアイデンティティが強いから」がメインの理由ではありません。

「関西弁がお笑いなどを通じてテレビでよく放送され、全国の人がそれを理解してくれるのを(意識せずとも)わかっているから」、です。

私は新潟の出身です。新潟市はそれほど方言が強くないというのもありますが、私が東京含め他の地方に行った時に新潟弁を話さないのは、「話しても理解してもらえないから」です。これは新潟に限った話ではありません。他の地方出身者も、地元の方言を他地方の人の前で話さないのは、話しても通じないからです。

これは台湾に行っても思います。台湾、特に台北では日本語が通じる場所が多いです。ホテルやお土産屋さん、レストラン…正直中国語が話せなくたって、台北なら日本語だけでほぼ観光できます。しかし、相手が日本語を理解してくれるからといって、タメ口で店員さんなどに日本語で偉そうな口をきいているオッサンを見ると、私はぶちのめしたくなるのです。「日本の恥だ、日本に帰れ」と。

私はいわゆるエセ関西弁を話します。関西出身ではないくせに、関西弁を話します。私自身はノンネイティブ関西弁と呼んでいます。2011年に関西に赴任してから会社を辞めるまでの8年間、私は関西のおばちゃん先輩社員2名に仕事を教えられました。他の課の関西出身の女性たちにも、落ち込んでいるところをよく励ましてもらいました。

それなりの長い年月のうちに、彼女たちの―いわゆる関西のおばちゃんの―思考回路が、言葉とともにインストールされました。しんどい時は「それ以上無理したらあかんて」「そんなのやめとき」、ヤバい時は「どうにかなるで。絶対大丈夫やで」、人に言われたことに傷ついている時は「そんなの気にしとかんとき」など。

関西弁でのコミュニケーションにおいては、人と人の距離が標準語よりも近い気がしています。おじちゃんもおばちゃんもやたらと飴をくれます。「関西人って思っていることを遠慮なくズバズバ言いそうで怖い」という他地方の人もいますが、正直それは人によりけりです。相手の気持ちを考えて言葉を丁寧に選ぶ人もいるし、おっしゃる通り無神経にズバズバ言ってくるクソもいますが、それより某かつての都の人が「表向きは上品で、本音を言わないけど裏で腹黒いことを考えている」(一部ですよ多分!)方が怖いです。

いまや私は、「なんでやねん」を習得する前に自分がどのような言葉を使って他人にツッコミを入れていたのかが思い出せません。新潟や東京にはそもそもボケとツッコミの文化がないから、誰かがボケたらボケっぱなしだったのか…?冷めた目で見られただけだったのか?

 

※ツッコミはある種の優しさです。コミュニケーションが苦手な人がちょっと変なことを言っても「拾って」、みんなで仲良く盛り上がる。バレーボールで言えば、ボールが落ちないように常にみんながスタンバッていて、ボンボン打ち上げまくっているようなもんです。

 

少数派の言語を保護するべきかについては議論があるようです。結局言語の保護とは他人の子育てへの口出しであり、そんなこと誰もやっていいことじゃない。少数言語を話すより、多数派の言語を話すことが生きる上で有利になるのなら、そしてそれが死活問題であればあるほど、親は少数言語を子供に教えようとはしないでしょう。台湾やアイルランドのように、国策として政府が義務教育化でもしない限り(※成功しているかは別の話です)、「自然に任せる」しかないのかもしれません。

ただ、ひとつの言語が失われることに対して言えることは、先ほどのTEDのスピーチの言葉を借りれば"Loss of beauty."世界から美しいものがひとつ消えてしまう。言語の違いとは、世界をいかに切り取るかの違いです。

 

世界の切り取り方、認識の方法がひとつ消えるということ。それは確かに、寂しいことに違いありません。

 

※ものすごく昔に書いた下書きが残っていたから修正してアップしたんだけど、関西弁の箇所が関西電気保安協会の記事とほぼ被っていた。お詫びします(直す気力はない)

東大・京大生(卒)の男を出身大学で持ち上げるんじゃない、クソ女ども

f:id:Elaineintherain:20201111171717p:plain

悪いけど怒ってるのよわたし

非常に挑戦的なタイトルになってしまった。

 

インパクト重視の方がアクセス数稼げますか?

…という問題はどうでも良くて、最近大変不愉快な出来事が連続して起こった。

(このブログにはアフィリエイトをつけていないため、アクセス数が増えたところで私には何の得もない)

 

(どうでもいい情報だが、私は東大卒である。とはいえ4年間を無気力と自己嫌悪と希死念慮で潰し、コミュ障 of コミュ障、自縄自縛で可能性を自ら潰しまくる劣等生の極みだった。ゴミとでも何とでも呼んでくれ。)

 

ここから先は私が東大卒であるため、東大が中心の話となる。しかし私の住む関西では京大こそが神であり、京大の男に群がる女は死ぬほどいる。さらに言えば親族に京大卒は2人おり、前職の会社(in 兵庫県)では京大卒のエンジニアが多数いた。関東における東大生/卒を取り巻く状況と、関西における京大生/卒の男性を取り巻く状況はどことなく似ていると感じている。なお、関西では東大卒は完全に珍獣扱いである。

 

東大卒の男性を、その人が今やっていることに出身大学なんて関係ないのに、やたらと女性側が持ち上げる場面を久しぶりに複数回見かけた。

東大卒に「さっすが東大卒ぅ〜♪」などと言っていると確実に相手の腹は煮えくりかえっているか、内心ではチベットスナギツネのごとく冷め切った目をしている。

 

そういう「ちゃかし」は「私は学歴で他人をイジる程度の低い人間なんです」と自ら表明しているようなものなんで、たとえ相手がニコニコ笑っていてもやめてくださいね★(殺意)

 

まともな東大卒は「バカ」という言葉はよっぽど親しい人が相手でない限り使わないのではないかと思う。「これだから東大卒は」と色眼鏡で見られ、普通の人に言われるよりも「嫌味だ」と感じられやすい。

でも、東大卒をイジるのは本気でバカだと思う。頭悪い。やめろ。

 

百万回でも言う。東大を卒業したことは、18歳(浪人していれば19歳か)頃にペーパーテストで点を取るのが得意だったこと、これ以外何も担保しない。

 

社会階層論や格差論を少しでもかじれば、有名高校があり塾も充実している都市部とそうでない地方では大きな格差があること、親の年収によって教育格差が確実に存在すること、親の年収に関わらず子どもを塾に通わせ有名私立に入れるため親が汗水流して働いていたことなんて、すぐにでもわかることだ。

女性であれば、今よりも男女の格差が激しかった社会的事情によりキャリアを追及できなかった母親のリベンジマッチをさせられている人だっている。

(これは日本に限った話ではなく、各国のエリート共通の問題である。
自国に絶望し、子どもは海外に住まわせようと、海外大学進学に向けた教育に熱心な親も多数いる)

 

もちろん東大に入るのには本人の素質もあるし、努力だって必要だ(たまに一を聞いて百を知るタイプの天才はいるが)。都市部で、小学生の頃からSAPIXという有名塾に通っていた人は多い。

でも本人の努力だけで入れる大学ではない。それを自覚しない東大生(卒)はたとえ勉強ができてもバカだろう。

 

女たちよ。そういう社会的問題も100%無視して、東大生/卒や京大生/卒の男性を持ち上げて何か楽しいですか??

 

東大(生)卒女性の扱いはまた少し異なるので別途書く…かもしれない。そもそも東大における女性比率は20%以下だ。

男女の非対称性は確実にある。日本が低方婚社会(男性は自分より様々な意味で「低」の女性と結婚する傾向にある)ことは言うまでもないが、特に、東大卒を持ち上げる女性、付き合おうとする女性、ハイスペと呼んで結婚しようとする女性のなんと多いこと。

え、そんなの信じられないって?

それなら4月の駒場キャンパスに行ってみてください。他大学の女子大生が、東大生の彼氏をゲットしにインカレサークルに入ろうと白いレースのワンピースで来ている姿を大量に見られるから。

 

東大卒の人間が卒業後にこっそりと話し合うのは「東大を出たことで重たい十字架を一生背負うことになった」です。

 

『東大なんか入らなきゃよかった 誰も教えてくれなかった不都合な話』という本もあるようだ。私は読めていないが、東大を出たことで職場いじめに遭う話は「超あるある」である。 

「東大卒だからこれぐらいできるでしょ」と言われ、それがそのうち「東大卒なのにこんなこともできないのか」に変わる。 知人はいじめの結果、正座してパソコンを打たされたという(意味不明)。

 

なお、女性に知性を求めず、持ち上げられて良い気分になり若い女相手に鼻の下を伸ばしている東大男は真の馬鹿である。バーカバーカ

 

さて、終わりに、話題となった上野千鶴子の東大入学式の式辞で締めたいと思う。

 「あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。」

 

「あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。」


「ようこそ、東京大学へ。」

 

www.u-tokyo.ac.jp

自分の顔をどう思いますか

自分の顔のコンプレックスに悩む人は多い。らしい。

 

これまで私は自分の顔と向き合うことをしてこなかった。というか、29歳までまともに化粧をしてこなかったので、鏡を見る時間が非常に少なかった。束縛型の元彼に化粧を23歳まで禁じられていたのもあるが、とにかくベースメイクが肌に合わないことが多く、気分が悪くなったり痒くなったり吹き出物ができたりで諦めていた。(だから、化粧をして挑まなければならない就活は地獄だった)

肌に優しいとされる様々なファンデーションを試す金も時間的余裕もなかったが、「私の素肌に何か文句でも?」という気持ちで生きてきた。

そばかすは子どもの頃からあるし、もはや遺伝的なもので中学生の時に一気に増え、ギャン泣きして母を困らせたこともある。鼻の形だって好きじゃない。しかし、私はそれを「見ないこと」にして生きてきた。

 

写真を見ても自分の顔に対して思うことは「丸いなあ、太っているなあ、最悪だなあ」「他の痩せている人が羨ましいなあ」ということで、正直顔の造り自体よりも、顔の輪郭、引いては自分の体型への嫌悪が激しかった。

 

その後、コスメの魅力に気づき、肌質が変わったのかベースメイクもモノによっては拒絶反応が起こらなくなり、自分の顔は好きとか嫌いを超えた、単なる「キャンバス」のように思うようになった。
コスメのメーカー側の意図、そしてポテンシャルを最大限活かし実現させるための土台。
顔のためにコスメがあるのではなく、コスメのために顔がある。
かといってすっぴんも嫌いではない。

 

その後、コロナ禍で外出自粛生活が続く中、家の中でエクササイズするゲームにハマり、12kgほど痩せ、フェイスラインがスッキリしてきたことでますます顔をキャンバスとして活用するのが楽しくなった。

 

…というのが今年前半までの考えだったのだが、最近マスク生活をしているからか、肌トラブルがひどくなった。急激にニキビが増えて、痒みが出てきた。

お肌の曲がり角なんてとうの昔に過ぎたと思っていたのに、予期せぬ場所で急にS字カーブにぶち当たったようなものである。病気レベルではないものの、毛穴が目立つようになり、鼻周りや顎周りの白い角栓は常に飛び出てコンシーラーでも隠せず、口周りの乾燥がひどくて粉を吹く。

幸い、ニキビと肌の痒みは皮膚科に通うことで治った。私には小さい頃からずっとアトピー持ちの弟がいるが、病気レベルの痒みに悩まされてこなかったことはただの幸運だと思うようになった。私にも別分野の持病があるが、その他の病気にたいして悩まされてこなかったのはやはりただのラッキーだ。

(夏になると頭痛が酷くなるとかはあるけれども)

 

という訳で、私の最新ステータスは「顔に限らず、肌は美容の問題ではなく健康の問題」である。そりゃ、眉毛の形は変わってるしそばかすは子供の頃から多いし、クマもあるし、顔の形も左右非対称だが、そんなのは肌トラブル、特に病的なものに比べれば何でもない。挙げ句の果てにアレルギー性結膜炎にかかり、目が沁みて目蓋が痒くなった。今では治りかけているが、しばらくはコンタクトレンズもアイメイクも禁止状態である。社会人の女性に化粧を強制する社会には辟易するが、一方で化粧を楽しめることも実は贅沢だったのだ。

 

あえて次にトライするとすれば、眼鏡である。イガリシノブさんというメイクアップアーティストのおかげで、眼鏡がメイクの一部になることを知った。しかし、眼鏡をかけたことがある人にはわかると思うが、気分で眼鏡を付け替えるのは意外としんどい。同じ度数のレンズでも、目からの距離が異なることで見え方が変わってきて目と頭が疲れるからだ。

 

とはいえ、私は今の自分の眼鏡を気に入っている。母が「私には今のレンズの度数が合わなくて結局変えなくちゃいけないから、あなたこのフレーム使わない?」とくれたものである。パソコンやスマホで目を酷使することから、ブルーライトカットのレンズにした。

…ただ一点だけ、コスメオタクの方々には注意を申し上げたい。ブルーライトカットのレンズにすると、他人から見えるアイメイクの色味が変わります(青い光を通さないから当たり前)。かといってスマホブルーライトカットのフィルムを貼っても色味が変わりそうで、そこは悩みどころである。

しかし見事なまでにクマは隠れる。コンシーラー要らずなのは眼鏡の利点である。

f:id:Elaineintherain:20201111145900j:image

 MODOというブランドの眼鏡。
ニューヨークのSOHOで誕生したブランドだが、製造は日本らしい。紺色のフレームに、チラチラと青が入っているのが気に入っている。

「どうやったら日本人に間違えられますか」-ネイティブとノンネイティブを分けるもの

という質問を、日本語が非常に流暢な台湾人に聞かれたことがある。

彼女は私がリアルで繋がっている、(日本に何年も住んでいる訳ではない)外国人の中で、おそらく一番日本語ができる。

外見もそこまで日本人と変わらないし、ファッションも見た瞬間に「あ、この人外国人だな」とわかる感じでもない。

だが、彼女曰く、飲食店などでオーダーする時、外国人であることがすぐにバレるのだと言う。どうやったら日本人に間違えられますか、私の日本語は文法がおかしいですか、それとも問題があるのは発音ですか、スピードですか、と聞かれた。

 

私は少し考え、いや、あなたの文法は完璧だし、発音も綺麗だよ。スピードだって遅くない。あまり考えすぎなくていいんじゃない、と答えた。

 

その場ではそう答えたが、その後も日本語ネイティブとノンネイティブを分けるものは何なのかを考え続けた。何故私たちは瞬時に判別できるのか。

 

彼女の日本語は、思い返せば全てが綺麗にひらがなに分解できるものだった。スピードも遅くなかったけど、ひとつひとつの言葉を丁寧に組み立てて話している感じがあった。

 

その後日本語教師の勉強をしてみて、日本語にも色々と発音のルールというか傾向みたいなものがあることを知った。

要するに、日本人は超適当に話しており、書き言葉(ひらがな)どおりの発音はしていないのである。

 

例えば、母音の無声化。

以前別記事でチラッと書いたものをもう少し説明します。

 

「日本語ネイティブとは、自分の母語が日本語だと思い込んでいる人々のことである」

https://elaineintherain.hatenablog.jp/entry/2020/06/09/002029

 

イ母音とウ母音が、文末に来たり、無声子音(カ行音・サ行音・タ行音・ハ行音・パ行音の子音)に挟まれた時に、声帯振動がなくなり、母音がはっきり聞こえないという現象、それが日本語における母音の無声化。

これだけだと意味不明だと思うので、例を挙げる。

簡単なのは、文末の「です」「ます」。あなたは「す」のウ母音をはっきり発音しているだろうか。だいたい「s」の子音だけで終わっていないだろうか。

また、「腹式呼吸」と口に出してみて欲しい。「フクシキコキュー」。ふ、く、し、き、であなたはそれぞれウ母音とイ母音をはっきり発音しているだろうか?。私(新潟出身)の場合、前の「フクシ」まではほとんど母音をはっきり発音していない。
しかし、近畿や四国ではこの現象が起こりにくいそうだ。「日本語 母音の無声化」でググったら、「母音の無声化は関西出身者が声優を目指すにあたり最も苦労する発音のルール」と書いてあった。なんだ、地域によるじゃん。

 

その他、助詞「が」の発音も地域により何パターンもあることを知り、前回も書いたけど、だんだん「日本人とは、日本語でなんとなく繋がっているつもりになっているだけの集団」みたいな気持ちになってきた。「普段は方言を話しているかもしれないけど、標準語を話そうと思えば話せる気になっている人間の集まり」。

明治時代に政府が近代的な国民国家を目指して、国民教育(義務教育)を始めて、新しく作った「標準語」を日本の隅々まで行き渡らせ、「私たちは日本人である」というアイデンティティを浸透させていった結果が今の日本人である。おそらく、江戸時代までの一般人は「私は○○国の人間」という認識こそあれど、「私は日本人」だなんて思っていなかった。

 

話が少し逸れた。

強いて言えば、日本語が母語の人間は、めちゃくちゃ適当に話している。文法だって、文字に起こせば相当適当なことはインタビューの文字起こしをやってみればすぐわかる。要するに、話す時にあまり考えていないのだ。

 

その「テキトーさ」で私たちはネイティブとノンネイティブを判別しているのではないか、というのが、今のところの私の仮説である。

 

なお、日本語を流暢に話す外国人でも、LINEやメッセージなどで文章を読んでみると違和感を覚えることは多い。あんなに話せるのに、と思うが、どうも書き言葉に関してはまた別の検証が必要なようだ。おそらくは義務教育での作文の練習経験によるものだと思うが。

 

ちなみに、私は英語と中国語に関してはネイティブに間違えられることはハナから諦めている。そもそも、そんなレベルには到底及ばない。それよりも、相手が話すことをどれだけ汲み取れるかを重要視したいと考えている。