10:44 AM

日々

中井治郎著『パンクする京都 オーバーツーリズムと戦う観光都市』(2019)

コロナ前、京都は外国人観光客に対して「いけず」すぎると感じていた。紅葉の名所に行っても、日本人よりも外国人の方が多いぐらいなのに、「ここで写真を撮らないでくださあい。立ち止まらずにお進みくださあい」と日本語でのみ呼びかけ、日本語での注意書きしか置かれていない時などげっそりした。ホンマに撮ってほしくないんか??
京都に外国人の友人を連れていき、塩対応をされると「同じ日本人として申し訳ございません。。。」と思ったものである。
(ただ、自撮り棒に関しては国として輸入禁止にしてほしいと思っていた)

「コロナ前、何故京都は外国人観光客に対してあんなに『いけず』だったのか?」という疑問に答えてくれる本に出会った。超絶面白い。

 

中井治郎著『パンクする京都 オーバーツーリズムと戦う観光都市』(2019)

 

つまり、訪日外国人客の急増が過度の観光化「オーバーツーリズム」(「地域のキャパシティを超えた観光客の増加が、地域住民の暮らしや観光客の観光体験の質に受け入れがたい悪影響を与えている状況」の意味で使用されている。44頁より)を引き起こした、という話。そこからツーリズモフォビア(観光恐怖症)(ここでのphobiaは嫌悪や忌避に近い)が起こる。
このオーバーツーリズムは京都のみならずベネチアアムステルダムバルセロナなど世界の観光都市で住民たちの怒りを爆発させている(あるいは、過去形で「いた」と言うべきかは不明)

祇園で写真を撮りまくる外国人の何が問題なのか?は、知識がないと東京含め他の地方民も正確にはわからないのではないか。それを知れたのも収穫。

 

ところで、私自身京都の「敷居の高さ」や「一見さんお断り」文化がピンと来ない部分があるのだが、以下の部分がしみじみと面白かった。


「一方で、普段から若い人々を相手に仕事をしている自分の手ごたえからすると、花街に対して特段の『敷居の高さ』や『近寄りがたさ』を感じないというのは、何も外国人観光客に限った話ではないのかとも思う。日本人でもとくに他地方の若い人なら、花街の伝統など京都という都市が内包する『敷居の高さ』や『近寄りがたさ』を価値として守っていかなくてはいけないということにピンとこない人が増えているのではないか。『コミュ力こそ正義』であり、(それこそ外国から来た観光客もふくむ)万人に開かれた『分かりやすさ』や『親しみやすさ』こそが至上価値とされるこの時代に、そのような『敷居の高さ』の価値をどのように伝えていくかは、おそらくそう簡単な話ではない。」(170頁)