10:44 AM

日々

娘の誕生

少し前に娘が産まれた。

産んだ、と表現してもいいのだけれど、産まれてくるタイミングを選んだのは彼女だ。

 

深夜に破水、病院に連絡、即入院。

内診してもらうが、子宮が十分降りてきていないと言われる。一日待ってみて、ダメなら誘発剤を打つと言われる。

一晩寝て、朝から波のようにやって来ては引いていく痛みを経験。

この頃は

「(「春に」の節で)

この痛みは何だろう〜♪この痛みは何だろう〜♪喩えて言えばレッグレイズやりすぎた時のような〜♪舟のポーズで全然身体が上がらない時のような〜♪」

「陣痛は例えて言うならば生理痛と、腹筋トレーニングやりすぎた時の筋肉痛を合わせたような感じで、それの強化版だな」

などと考えるぐらい余裕があった。

昼過ぎから痛みが酷くなる。助産師さんに「子宮の痛みじゃなくて、赤ちゃんが下に降りてくる時の骨盤の痛みかもしれない」「もう少し待ってみて、明日の朝採血して感染してなければ誘発剤、感染があれば緊急の帝王切開」と言われ、こんなに耐え難い痛みなのに!と絶望。その日のうちに産むことはないだろうと言われ、モニタリング続行を言い渡される。人間はあまりに酷い痛みに見舞われると全身が痙攣することを発見。

夕方いてもたってもいられなくなり、ナースコール。怒濤の勢いで子宮口が開いていったらしく、16:30頃だろうか、気がつけば車椅子に乗せられ分娩台へ。

分娩室では謎のオルゴール音楽がかかっていた。

寄せては返す痛みの波。痛さの大きな波が来る時は「フーッ」と長く息を吐け、と言われるがそう上手くもいかない。何度もガクガク痙攣し、分娩台の手摺を強く掴む。痛さが少し引く小休止の際は完全に脱力し深呼吸して赤ちゃんに酸素を届けるように言われる。時間が無限に感じられた。飽きる。

いきむのは出産の最後の方のみ。そこまでは赤ちゃんが産道を通るのを待つ。

とはいえ、痛みの波に合わせていきむのも何回やったかわからない。痛さの波が来た際に息を吸って、止めていきみ、また吐く。これを1〜2回。小休止の際は脱力・深呼吸。正直、途中で飽きた。出産は体力というけれど、どちらかというと「飽きない力」というか集中力、精神力が大事だと思う。

気が遠くなるような繰り返し作業の後、「次、3回連続でいきみます」と言われて3回目でズルっと赤ちゃんが出てきた。産むまで心の底からは信じられなかったけど、本当に人間がひとり入っていた。産声を聞き、「呼吸して〜」と産まれたばかりの赤子に声をかける。

すぐに小児科の先生が診察してくださり、呼吸にヘルプが必要とのことで一瞬の写真撮影の後娘はNICUに連れられていった。この手で抱く暇もなかった。

19時半頃誕生。後から超安産でしたねと言われる。そうかなあ。

娘は最初2週間ほどNICUに入院予定と言われたが、頑張ったのか、私と同じタイミング(1週間程度)で退院できた。

退院当日は安堵からか、実家に着いてから身体がバラバラになるような疲れを覚え、娘を母に預けて少し寝かせてもらった。

 

 

 

そして今、彼女は私の隣で寝ている。