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日々

東京五輪について思うこと

早いもので、オリンピックは今日閉会式だ。

コロナ禍関係なく、私は招致活動の時点から反対だった。体育が嫌いだった私にはスポーツの祭典にお金をかける意義が見出せず、震災からの復興や、毎年起こる災害の対応に金をかけるべきだと思っていたし、今も思っている。ある意味コロナ禍も天災のようなものだ。

開会式はひどいもので、各競技のピクトグラムをリアル人間で表現したのは面白かったけど、正直今後の五輪の開会式はもう入場行進だけで良いのではないかと思った。国威を見せつける必要なんて無い。漫画を模した衣装にも怒りを感じた。本当に漫画を描いたことがある人なら、漫画の表現なんてあんなもんじゃないとわかるはずだ。

私の大好きな国、台湾の扱いには反吐が出て、順番的には五十音の「た」の位置に置いたのに「チャイニーズタイペイ」と言ったのが頭に来た。もう台湾は台湾でいいじゃないですか。本人たちも自称しているし、中国は「台湾は台湾省」と考えているだろうから中国に遠慮することにもならない。

 

そうは言っても良かったこともある。特に新競技は、世の中にはこんな競技もあるのかと思えたし、何よりも空手の形は衝撃的だった。シンプルに自分の身体のみと対話する楽しさは、社会人になってから弓道やヨガをやってみてわかった。高校時代空手部に入っておけば良かったと思ったほどだ。私は運動が苦手だけど、今考えてみれば別に勝つ必要なんてないのだ。筋トレの楽しさも知った今は、選手たちの足腰の強さに憧れる。しかし、それら全ては大人になってからわかったことで、高校入学時にその選択ができたとは思えない。人間、ある程度長く生きてみるものだな。

女子スケボーのストリートもパークも雰囲気が良くて、選手たちはみんなお友達で仲が良くて、お互いの演技を讃えあっていたのが良かった。みんなスケボーを楽しんでいて悲壮感が全く感じられず、スポーツとは本来このようであるべきなのかもと感じた。男子にはその雰囲気をあまり感じなかったので、もしかしたらスケボー女子には黎明期特有の煌めきがあるのかもしれない。

 

オリンピック開催の是非はともかくとして、新型コロナのニュースで日々ゲッソリしている日本国民に明るいニュースを届け続けてくれたことは良かったことかもしれない。

私は以前の記事に書いた通りパラリンピックは偽善の部分が大きいと感じているけれど、自分自身がいち障害者であるため、選手たちから学ぶべきことはあるかもしれないと感じている。つまり、障害に人生を支配されないこと、負けないこと投げ出さないこと逃げ出さないこと信じ抜くこと、ダメにーなーりーそうなーとーきそれがー一番大事ー♪ということ(気がつくと『それが大事』の歌詞が浮かんでいた)。

私自身は「自分がぶっ壊れるぐらいなら負けてもいいし投げ出してもいいし逃げ出してもいい、むしろ逃げろ」と常々思っているが、選手たちの姿勢を見て取り入れるべきところは取り入れられたらと考えている。