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普通の会社員だったはずが持病のせいでレールを外れた人生を送ってるけどそれはそれで楽しいブログ

1歳4ヶ月児に見る人間性の定義~ホモ・ファーベルとホモ・ルーデンス~

 
みなさんは高校時代、倫理の授業の一番最初で、昔の偉い人たちが考えた人間の定義を習わなかっただろうか。
 
曰く、
ホモ・サピエンス、考えることに人間の意味を見出す(リンネ)
・ホモ・ファーベル、工作人、道具を使うことに以下略(ベルクソン
ホモ・ルーデンス、遊戯人、遊ぶことに以下略(ホイジンガ
 
1歳4ヶ月児の双子である甥と姪が、諸事情により私の実家に帰省するのに合わせ、私も帰省した(他にも理由はあるが割愛)。叔母である私は彼らの大ファンである。宇宙一可愛い。だが、新型コロナウイルスの影響で会いたくても会えず、弟に奴隷のように「彼らの写真や動画をよこせ」とたかっていた。
 
甥と姪は今、身の回りの全てをおもちゃにし、人類の作り出した「仕掛け」「道具」にハマっている。
引き出しやドアを開けては閉める。ボタンやスイッチを押すのが好き。
彼らはまさしく「ホモ・ファーベル」「ホモ・ルーデンス」の段階に立っている。
これまでそういったことを意識してこなかった幼児が、1歳5ヶ月にして「文明」と衝突しているような印象を受ける。非常に面白い。
どれだけホモ・サピエンスかは不明。ある程度考えてはいるのだろうが、過去や未来の概念があまりなく、とにかく「今」しかないように思われる。「今」バナナが食べたい。「あとで」という言葉は通じないし、おそらく「今」しか生きていない。
数か月前まではおもちゃで遊んであげたし、絵本もよく読んであげたが、今はそういう段階ではないようだ。興味が向かない。人間が作り出したおもちゃなんて要らない。
歩けるようになり、手足を意のままに動かすのが上手くなり、自分の手でこの世界の感触を確かめたいという好奇心に溢れているように見える。
 
彼らは喃語をよく話す。何かを伝えようとしているのだろうが、その言語を大人は理解できない。「パパ」「ママ」「ハイ(返事)」「ワンワン(犬も猫もワンワンと呼ぶ)」などは言えるようだ。確かに、犬と猫の区別は難しいし、犬など犬種による外見の幅が非常に広いので、それら全体を「犬」として認識するのはかなり高度な営みではないかと推測している。
喃語の国際比較をしてみたら面白いと思った。どれだけ母語の干渉を受けるのか。中国語の母語話者となる子供は、声調が既に喃語の中に入り込んでいるのだろうか。
 
彼らはこれまで、言語以前の世界に生きていた。それは私にとって、非常に興味深いものだった。もはや私は、言葉の檻に閉じ込められて、そこから出ることができず、その中からしか世界を見ることができない。
彼らは今度は言語によって世界を「分けて」いく段階に入る。「分かる」ことは「分ける」ことであると、高校の国語の先生が言っていた。おそらく彼らは、あと数か月でペラペラと話し始めるだろう。お盆に再会する予定だが、その頃は一体どのような成長を遂げているのだろうか。
 
おそらく、自分の子供であれば育てるのに精一杯で発達を面白がることなんてできないかもしれない。数か月に一度会える叔母という立場から、彼らの成長の記憶を残しておく。
 
なお、これは私と母の共通見解だが、赤ちゃんと猫は似ている。いたずらをするとか、新しい場所に行けばひととおり点検するとか、人見知りとか、怒られているのは理解しているが懲りずにまたやるとか。猫を飼っていると、何をされても「猫だからしょうがないよね」という、寛容の精神が育まれる。私も母も、甥と姪に対して「幼児からしょうがないよね」と、(本当に危険なことをしようとしたら止めつつ)彼らの行動を寛大な心で受け止めている。いいんだよ、いいんだよ、何をやってもいいんだよ。刃物には触らせないよう気を付けつつ、コンロを使う時は最新の注意を払い、高いところに上れば落ちないように身体でサポートしつつ、可能な限り彼らの好きなようにさせておく。
 
彼らと会うたび、新しい発見がある。乳幼児は、面白い。