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日々

「関西のオカンたち」というコミュ力お化けに守られていた話。

重い鬱に悩まされていた大学時代。キャンパスが牢獄のように思えて脱出したいと必死に就職活動をした。

入社1年目から3年目まで、2人の関西人女性の先輩の下で働いていた。その頃も鬱には悩まされていたが、仕事には行けていた。お二人ともとにかく温かく、世話焼きで、人柄が良かった。すぐ凹みがちな私は、他の関西人のおばちゃんたちにも励ましてもらいながら働いていた。

(この話は昔の記事「ノンネイティブによる関西弁解説ー別に怖い言語でもキツい言語でもない」にも書いている

https://elaineintherain.hatenablog.jp/entry/2020/07/31/221407)


これまでコミュ障だった自分が、常に取引先と接しなければならない職務内容と先輩方のお陰で脱せた気がしていた。しかしASDはコミュニケーションに難を抱えがちな障害である。「ASDに診断されたということは、コミュ障に見られたということですよね?」ー他の患者さんに言われた。ASDイコールコミュ障というのは言い過ぎかもしれないが、「ASD」でGoogle検索してみて真っ先に出てくるのは「他者とのコミュニケーションが取れない」と「興味や活動が偏る」だったりする。


そうか!私はコミュ障を完全に脱した訳ではない。関西のオカンたちというコミュ力お化けに守られていただけだったのだ。(※当然ながら、関西のおばちゃん全てがコミュ力お化けな訳ではありません)

それまでの私は、集団に馴染めないことが少なくなかった。クラスの中で、サークルの中で精神的に孤立しがちだった(上手く受け入れてもらっていたこともある)。彼女たちが温かく仲間に迎え入れていてくれたから、何とかその3年間は孤立することもなくやってこれたのだ。


関西人全員がコミュ力お化けだと言うつもりは毛頭ない。だが、大雑把に言って、関西人は誰かがスベってその場が凍りつくことを嫌う。耐えられないと言ってもいい。誰かが拾ってくれて、みんなで笑ってその場を収めようとする。だから、天然ボケをかましたとしても誰かが必ずツッコんでくれるのだ。


現に、体調を崩して会社を休むようになったのは関西のおばちゃん達の元を離れてしばらく経ってからだった。相談しやすい準管理職のポジションが欠如している課に配属された。自分の上がいきなり部長だった。それをなんだかなあとは思いながらも仕事を進めていたが、そのうち諸々のストレスに耐えられなくなって倒れてしまったのだろう。いやはや情けない。(この時どうすべきだったのかは、医師と相談してみたい。仕事でも子育てでも、こんなもんだろ、他の人よりも特にプレッシャーが大きい訳でもないし、とストレスに耐えているうちに身体が悲鳴を上げている。いわゆる「普通」の人はどのように対処するのだろうか?)

 

では、私は今後どう生きていけばいいのか。コミュ力お化けを探し、頼り、生きていくのはなんだか生き方として違う気がする。強者に寄生するような生き方ではなくて、自分できちんと人との関係を結びたい。そういう道筋が立てられるかなあ。立てられるといいなあ。