今日は母校の合格発表の日だったらしい。
このブログを読まれている方には受験で第一志望に受からなかった方も当然いるだろうし、大学受験を経験していない人もいると思う(大学を受験できるのは、恵まれていることでもある)。
でもこれから言いたいことは自慢話ではない(と少なくとも自分では思っている)ので書きます。
合格発表の日、父と弟と新幹線で東京に出て、大学まで見に行ったのを覚えている。(父は仕事ついで、弟は便乗で東京観光)
合格できているか不安で、とても気分が悪かった。自分の受験番号を見つけてもウェーイとは喜べなくて、何だか狐につままれたようでぼんやりとしていた。
父がお祝いにと後楽園のババ・シュリンプというシーフードのお店で食べさせてくれたのを覚えている。
大学に入学したての頃は、どんな勉強をしてきたとか、同期と受験の思い出話をした。
そして10年が経った今日になって、電話で両親と合格発表の時の思い出話をした。
受験のことを今でも色々思い出すのって面白いなあと思う。
もちろん、入学後後の体験(学業、サークル、部活、なんでも)や社会人になってからの経験の方がずっと大事なことだって、みんなわかっている。
それでも、何というか、過去の体験(成功も失敗も)を時を経て思い出すのは面白い。思い出のリサイクル。それが「勉強した」という事実であっても、「中学や高校の同期と部活動の思い出を話す」のと同じことだと思う。試合で勝ったことでも、負けて悔しい思いをしたことでも。なんだか勉強の話だと色をつけて見られがちだなあ。
私は高校時代、ある程度勉強に時間を費やした。それは受験を経験した人のほとんどがそうだと思う。
生徒会活動はやっていたけど、意外にも負荷が低く、他の部活に入ることも考えたが、致命的なほどに運動音痴であることと、何にも興味が持てなかった(これはとても苦しかった)のもあった。でも、放課後に先生方に質問をしに行って、色々なことを教えてもらったり、学問に関する話(たまに無駄話)をしてもらうのはとても楽しかった。
高校時代に部活をやっていなかったことを激しく後悔したことは数知れない。
でも、今勉強を頑張っている人に言いたい。それは部活を頑張ることと同じぐらい、尊い経験だと。大学を受ける受けないに関わらず。志望校に受かる受からないに関わらず。そしてそれに対し罪悪感を抱いていた高校時代の私にも、激しく後悔している社会人になってからの自分にも言いたい。
頑張れ、高校生。
大学を受験する予定のある人もない人も。
勉強することに対し罪悪感を持つことはないよ。そこにはきっと、面白い世界が広がっている。
なんだか恥ずかしいから後でこの記事消すかも(笑)うーん、一期一会の文章ということで、お願いします。