10:44 AM

日々

ガチンコで話がしたい

高校卒業後一度だけ、同期数人で集まったけど、それっきりだった友人達がいる。

それがこの度、男女含めて「同窓会をしよう」と声をかけてもらった。「今精神疾患で会社休んでて恥ずかしい」と企画してくれた友人に言ったら、「仕事の話なんてしないよ。みんな辛いって言ってるし、現実から逃げたいって思ってるよ」と言われた。

どうしようもなく嬉しかった。

 

最近、男性から「自分がいかに勉強してきたか」「いかに職場が楽しいか」「いかに大変な仕事をしているか」「どれだけ知識を持っているか」の話を聞くことが多く、そのキラキラリア充っぷりに、その場に同席している私としては「私のような病気で働けない人間を、またお前達の仕事に合わせるために仕事を辞め専業主婦になった人間を、妊娠して子どもを産んでおっぱいあげて子育てに専念している女性を、何だと思っているんだ」「ただの胎(はら)か」と複雑な気持ちになることが多かった。

(あれ?これってただ単に「空気読め」っていう話か?別にリア充同士でその話をしても良いけど、私のような人間が同席している場では話さないで欲しい、という話か?)

 

違う。私はもっと、辛い中でなんとか生きている、ガチンコの話がしたい。

表面的な幸せの話もいい、でも悩み苦しみ生きている、その姿が見たい。別に暗い話ばかりじゃなくていい。お互い色々抱えながらも、冗談を言って笑い合いたい。

 

今度の同窓会が、楽しいものになることを願っている。

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ついでに書くけど、私は怒っている。

未婚、既婚、働いているor専業主婦、子どもがいる/いない。どうして我々女は(男も?)、そんなことで分断されなければいけないのか。

子どもがいれば生活の中心が子どもになってしまうことはわかる。子どもがいなければ(働いていれば)仕事が中心になる。働きながら子どもを育てる人が持つ罪悪感、働いていないことによる専業主婦の葛藤。男同士は仕事の話をすれば分かり合えるかもしれないが、共働きでも子育ての負担が大きくなりがちなのは(保育園のお迎えや、子どもが熱を出したら帰るなど)女だ。

極め付けは、男女ともに「結婚して子どもがいなければ未熟」とのたまう人間がいることだ。世の中にどれだけ毒親がいると思っているのか。

私達は分断される。しかし誰に怒ったらいいのかわからない。ただただ、怒っている。