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日々

「まじめに生きるって損ですか?」

 雨宮まみさんの、「まじめに生きるって損ですか?」を読んだ。

まじめに生きるって損ですか?

まじめに生きるって損ですか?

 

 ココロニプロロというサイトの、「穴の底でお待ちしています」という連載から生まれた本。

cocoloni.jp

 誰にも言えない、けれど誰かに言いたい、そんな内緒の悩みやモヤモヤ、しょうもないグチからやりきれないつらさまで、穴を掘ってこっそり叫んでみたい気持ちを発散する、「感情の吹きだまり」……。そんな場所がこのコーナーです。あなたのやるせない気持ちを、安心してブチまけてみませんか? 雨宮まみが聞き手をつとめます

 寄せられた愚痴を、まず雨宮さんが相談者さんに対し飲み物などでおもてなしし(スナック的な感じで)、分析し、やわらかい言葉で回答してくださる、素晴らしい本。

 「正しさの刃」だけではどうにもならないことは世の中にたくさんあるもの。

どんなに努力していても、周囲からは「成功していない人=努力していない人」とみられたり。どないせいっちゅうねん。

 

特に私にダイレクトヒットしたところはこちら。

努力って、得体が知れないんです。何時間、どんな作業をすればそれは「努力」になるのか。

なんでもかんでも「努力」という言葉で言い過ぎなんじゃないでしょうか。努力じゃないことで解決することもあるはずです。例えば「工夫」とか「譲歩」とか「交渉」とか「アイデア」とか。ちょっとした偶然や幸運で解決できること、叶ってしまうことだってあるのに、努力でなんでも叶うみたいに言うのもおかしいし、何かがうまくいかない人に対して努力が足りないと責めるのもおかしいと思います。

私は常に、自分に対して「努力が足りない」と責め続けている。工夫とかではなくて。目指すべき方向が分からないがゆえに、漠然と「自分がダメなのは努力が足りないからだ」と思い込んでしまっている。

コペルニクス的転回。


そして149頁を100万回ハイライトしたい(※紙が破れる)。

人は身近な人の努力の物語を怖れる、何故なら「努力すれば自分にもできるかもしれない(のに、それをしない自分は怠け者だ)」と思うから。

…というところ。自分のモヤモヤのメカニズムが明らかにされた瞬間。

そう、頑張っている人をまぶしく感じ、憧れ、嫉妬し、「自分は努力が足りない」という言葉に固執してしまうのはこれ故なのだ。

 

私もちょっと楽になりたいなあ。