10:44 AM

日々

べき思考に捉われて(認知行動療法やるぞ)

今日から認知行動療法をやることになった。

どういうことかというと、まず何か出来事があり、スキーマ(その人の性格や特性など)があって認知が決まり、それが気分に繋がり行動に繋がり、身体症状が現れたりもする、というのが大前提としてある。

例を挙げると、例えばデートの待ち合わせに相手が来なかったとして(出来事)鋼のメンタルの持ち主(スキーマ)は一人の時間ができた(認知)と喜び(気分)、映画に出かけたりする(行動)。これが凡人(スキーマ)はふられたのではないかと思い(認知)悲しみ(気分)胸が不安でドキドキしてきたりする(身体症状)。

これらのうち、気分と身体症状はどうしようもないから、認知もしくは行動を変えてなんとかしていきましょうよというのが認知行動療法、らしい。

 

ここで、認知の偏りにはいくつかタイプがあるとの説明を受けた。

・決めつけ

・白黒つけようとしすぎている

・部分的焦点づけ(全体を見ずに変なところだけクローズアップしてしまっている)

・べき思考(○○するべき に捉われすぎ)

・一般化しすぎている

・自己関連付け(過度に自分のせいにしている)

・情緒的な理由づけ(腹が立つから など理不尽)

 

入院して考え直したことがある。私は自分に対してべき思考をぶんぶん振りかざし、それに合格しない自分を責めまくる人間だが、時として(ごくまれに?だと思いたい)他人に対しても自己の規範で怒ってしまう、ということだ。「そうするべき/べきではない」とはっきり相手には言わないことが多いものの、ハイハイと黙って受け流せず内心怒る→感情が顔に出やすいタイプなのでムスッとしてしまうのである。そして残念ながらその規範が一般的ではなかったり、一般的であっても他の人だったら軽く受け流せるのにやたらと自分だけ怒ってしまったり、周囲との温度差が生じる。これがものすごいストレスに繋がっているのではないか。

私は「出されたメシに対して文句を言うべきではない」という規範を内在化して育った。食べながらイマイチだと思っても不味いと言わない、嫌いなものが出ても嫌いだといちいち言わず黙って残す。そもそも食べ物の好き嫌いが少なく、納豆以外なら何でも食べるのだが。不味いとか嫌いとか言うとメシがますます不味くなる。

ところがこの規範、思ったより一般的ではないようなのである。入院生活で他の患者さんたちから病院のご飯に関する文句やら、好き嫌いやらの話をよく聞く。その度に嫌な気分になる。私は好き嫌いがなくほとんど美味しくいただいているのだ、不味く感じるようなことはよしとくれ。そもそもそれって大の大人が口にすることかいな!と思ってしまうのだ。

しかしこの「ご飯が不味い/嫌いで食べられない」言説、意外と口にする人が多いのでびっくりしている。もしかしたら私の常識は世間の非常識、私の方がマイノリティなのかもしれない。

という訳で、もし私とご飯に行く方がいらしたら私の前でメシの悪口は言わないようお願いいたします。

お父さんお母さん、好き嫌いが少なく育ててくれてありがとう!抜群に生きやすいです。サンキュー。