渡辺直美さんとゆりやんレトリィバァさんがカバーした、Lady Gagaの"Rain On Me with Ariana Grande"のオフィシャルパロディMVを見た。あまりにかっこよくて、ショックでしばらく動けなかった。
直美さんはVogueの動画などでその生き方、考え方、言葉、謙虚な姿勢、驚くほどお洒落なファッションセンスでずっと尊敬してきた。体型の多様性に関して、プラスサイズ・モデルに直美さんがインタビューする動画も見た。ニューヨークでショーを行っていることは知っていたが、実際のパフォーマンスは見たことがなかった。ダンスがキレッキレで顔芸もすごい。
Lady Gaga “Rain On Me with Ariana Grande” Official Parody
その後、本家を見た。
Lady Gaga, Ariana Grande - Rain On Me (Official Music Video)
うむむ…?
カメラマンの問題なのか、映像を加工する人の問題なのか、直美さんたちの動画の方がもっとコントラストが強く、メタリックでメリハリがあって近未来的、もっと言えばSFなのだ。
それはすぐにわかったのだけれど
何度見てもパロディ版の方に心が惹かれてしまう。というか、本家を喰っているようにすら感じる。日本人芸人2人のインパクトの強さは明らかだけど…
ガガ様も、Born This Wayには何度も泣いたし、ゲイであることをいじめられて自殺してしまった男の子のためにHairという曲をライブで歌った動画でもボロ泣きした、のに…?
何故だ?!とひたすら2本の動画を見続けた結果、やっと気が付いた。
私が直美さんたちのMVの方を好ましく感じるのは、私が大好きなアジアン・ゴシックの世界観を感じるからだ。クーロンズゲートや攻殻機動隊、FF Ⅶ(ミッドガル)の世界と重ねてしまう。
わかる人にはわかると思うんですが、ゆりやんレトリィバァさんの蝶々背負ってるルックには、クーロンズゲートの「妖精さん」っぽい妖しい魅力がある。
アリアナさんには出せない。
ちなみにクーロンズゲートは初代プレステの名作ゲームです。マジ狂ってるからプレイ動画漁ってください。続編作成中とのこと…
アジアンゴシックの近未来SFのイメージは狙ってやってるな、と気が付きました。背景が結構違う。
ガガ様が闘技場みたいな背景の部分では、どことなく東京駅を思わせる背景が使われている。実際は東京駅ではないけど。
夜の東京駅はもはやそっくり。
アリアナ・グランデの部分の背景は似てるけど少し色合いをピンクっぽくしてる。蜷川実花さんの写真みたいなテイスト。
2人で踊るシーンも、渋谷、銀座、…あと浅草かなあ、東京の様々な光景をごっちゃにしているんだよね。
センター街の入り口はこんな感じで、門がある。
センター街の看板。
右側に見えるのは銀座にある和光の時計を思わせる。
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提灯は浅草のイメージでしょう。
オリジナルだと現代の都市を思わせるシーンが多いのに対して、パロディバージョンはちょっと近未来っぽい。
想起させるSFジャンルも私が好きなサイバー・パンク。
つまるところ、私の記憶を全部見透かしてツボを全部押さえてこられたみたいな感覚がある。
オリジナルとパロディ、どちらが優れているとか、優劣の問題じゃない。これは動画と私との文化的な繋がりの問題だ。
歌詞の内容的には、「悲しみよ降ってこい(もうなんでもかかってこいや、思いっきり泣いてやる)」みたいなニュアンスらしい。
その他、涙やアルコールなども隠喩として含まれた非常に深い歌なので、歌詞の和訳や背景など詳しくはこちらのサイトをご参照ください。(大変勉強になりました、ありがとうございます。)
だからこそ、Lady GagaのMVでは雨とともに大量の刃物が降ってくる。
でも、パロディ版で降ってくるのは大量のみたらし団子。しかもガガ様は自分に刺さった刃物を投げ捨てるのに対して、直美さんは刺さった団子を食べちゃうのが面白い。日本的要素・ギャグ要素を取り入れているともいえるけど、また異なる悲しみへの向き合い方の提示であるとも思う。食べて自分の一部にしてしまうのだ、直美さんバージョンは。
ところで、"Rain on me, tsunami"という歌詞が入っている。これにギョッとする自分にギョッとした。日本人にとって「津波」は東日本大震災と直結し、慰霊や防災に関する場面以外では軽率に口にしてはいけない言葉になった。昔は桑田佳祐のTSUNAMIという歌もヒットしたのに。
ガガ様は3.11の後、日本のために心を痛め、歌を歌ってくれたけど、普通に英語歌詞に"tsunami"という単語が使われているのを見て、あの日を境に「津波」という言葉に対する日本人の言語感覚が完全に変わってしまったのを感じた。
変化は気が付いた時に書き留めておかなければ、やがて曖昧になってわけがわからなくなる気がしている。だから書かなければ。