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日々

甥と姪が私の人生を変えた話

去年の1月、甥と姪(双子)が生まれた。

それ以来、暇があれば彼らの写真や動画を見て、iPhoneに専用の写真アルバムを作成し、よくニヤニヤしている。

弟から送られてくる動画で、彼らが笑いを習得する過程を見ることができた。

これまで、私は赤ん坊が笑うのは大人の同情を引き、世話をしてもらうためだと思っていた。

しかし、実際赤ちゃんが笑えるようになったところを見ると、こちらまで笑顔になるのである。本当に嬉しいのかはわからないし、どこまでが反射でどこまでが本当の感情かはわからない。だがそんなことはどうでもいい。

 

初めて会ったのは5月だったろうか。

まだ寝返りも打てず、ただ上を向いて寝ているだけだった。

ただただ、可愛かった。泣いていても可愛かった。抱っこさせてもらったが幸せ以上の何物でもない。ミルクを服に吐かれても気にならない。

 

6月、姪が寝返りを打っている動画が送られてきた。

なんということ!彼らは成長している!

 

8月、実家で彼らと数日過ごした。

弟から指示された通り、抱っこしながらひたすら部屋をウロウロした。視点が変わるのがいいらしい。しんどいからと言って抱っこしながら座ったら、「立てよ」と言わんばかりに身体を動かす。彼らに既に意思があることに感動した。

赤ちゃんを抱っこするのは重いし疲れるが、柔らかくてすべすべしていて幸せそのものである。自分に身体を預けてくれ、やがて寝た時などは達成感まで感じる。

この時点で姪は既にハイハイしていた。甥はまだ寝返りを打った状態で飛行機のようにぶーんとした姿勢を取るだけで、前に進めないのが辛いのか、やがて泣き出す。それを抱っこし、視点の変化を体験させる。

 

そのうち甥は自力で移動する術を覚え(腕をまず前に出し、身体を前に引きずる)、そうこうしているうちに姪は立つようになり、今や姪は自力で歩き、甥はハイハイを覚え掴まり立ち・伝い歩きができるようになっている。

 

もはや可愛すぎてクリスマスプレゼントまで贈ってしまった。

出版社と東大の研究室がコラボした話題の絵本、「もいもい」と「うるしー」である。

https://d21.co.jp/akachan-ehon/

義妹から、絵本に夢中で食いつく彼らの動画と写真が送られてきた時の嬉しさといったらなかった。何度も何度も動画を再生した。

 

彼らは顔つきもどんどん変わっていく。以前は赤ちゃんという感じだったが、どんどん顔つきがしっかりしてきて、今は「子供」という感じである。

 

今年1月に会ったら、喃語の形も変わってきていた。以前はあーあー言うだけだったが、今や「こっこっこ」「だぁ、だぁ、だぁ」「ばぁ」など、発音できる音が増えてきた。ガ行も発音できるようになってきた。1週間会わないでいるだけで、発音できる音が増えていく。ミルクはまだ飲むが、離乳食を食べる。離乳食を食べる時の彼らは感動的である。まあ吐き出したり、それで遊んだりもするが、大人を全面的に信頼し口を開けモグモグするのはすごい。不味い、嫌いだと感じればイヤイヤする。

 

大人たちはことあるごとに「天才!」と褒める。親バカ・叔母バカ・祖母バカなのは分かっているが、本気で彼らが天才だと信じている。弟は「センター試験がどう変わろうが関係ない、うちの子たちはどんな問題が来ても解けるから」と言う。

 

何度か子育てヘルプで弟の家に滞在し、普段の機嫌の彼らとの遊び方は多少身に付けたが、困ったのは彼らが胃腸炎にかかった時で、家庭内パンデミックで大人にも全員感染し、大人の方がむしろ重症で、子供たちは不快感から泣き続け、地獄絵図、阿鼻叫喚状態だった。ああいう時はお手上げになってしまう。

 

げっそりはしたが、彼らのことを嫌いになったかと言うとそんなことはなく、離れている今も彼らの動画をエンドレス再生している。

 

赤ちゃんの生まれてからの一年は、すごい。ただ上を向いて寝ているだけだった彼らが寝返りを打ち、ハイハイを覚え、立ち、歩くようになり、離乳食を食べるようになる。私の母は、子育てで更に面白いのは言葉を習得していく過程だと言う。

 

何よりも驚いたのが、世界中の子供が可愛く見えるようになったことだ。これまで私は子供が苦手だった。友人が子供を「ほら、可愛いでしょ」と見せてきても、引きつった顔で「可愛いねー」と言うだけで、本心では全くそう思っていなかった。

子供が嫌いというより、むしろ親の大変さ・辛さを想像して苦しくなってしまっていた。電車で子供が泣いた時、肩身が狭いだろうなとか。「電車で子供が泣いていてもあやさない親を見るとムカつく」「そもそも電車に乗るな、みんなの迷惑だ」などのツイートを見ると辛くなる。子供が泣いていてもあやさないのは、あやしても無駄な子か、親が疲れ切ってるからだと思うし、電車とは公共交通機関である。公共交通機関ということは誰もが使っていいということで、「迷惑だと感じている私=みんなの総意」と捉える人の存在にげっそりしていた。

 

ところが、駅のホームで待つ子供も、電車で見かける子供も、ショッピングセンターでうろちょろする子供も、可愛く見えるようになったのだ。ベビーカーの赤ちゃんには思わず微笑んでしまう。異音として聞こえていた泣き声は、天使の歌声へと変わった。というか、彼らは泣くのが仕事なので、電車に乗ってる時だって泣くのが当たり前なのである。

 

甥と姪のおかげで、私の世界は確実に変わった。正直、こんなに変わるとは思っていなかった。子供はみな可愛いが、彼らは宇宙一可愛い。

 

なお、関西の良いところは、ベビーカーで電車に乗ってもあまり嫌な顔をされず、割と温かい目で見られることである。(とはいえ、子育て中の人曰く、たまに嫌なことを言われたり迷惑そうにされることはあるそうだが)

東京ほど電車が混んでいないし、ラッシュアワーではどんな顔をされるかは不明だが、電車が空いている時はみんな普通にベビーカーで乗ってくるし、お父さんが一緒のことも多いし、割と微笑ましい光景として見られている。

関西はもしかしたら子育てしやすい場所なのではないか?と睨んでいる。私も子供を育てるなら関西がいい。ただ、故郷の新潟より受験戦争は大変そうだ(中学受験があったり、生まれた時点で公立の進学校の近くに家を建てるとか、色々と聞く)。