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日々

「無駄な一年」なんて無い

28歳になった。

私はどこかで、歳をとるのを恐れていた部分があったと思う。
歳相応に成長できていないからだ。
特に休職に入ってからはそうだ。寝込んで何もできず、無為に過ごしたと感じる日が多い。

しかし「ほぼ日手帳」(今年から愛用している)を見る限り、この一年間、全く何もしていなかったという訳でもなさそうなのだ。本は60冊以上読んでいるし(ほとんど本を読まない私にとっては快挙である)、美術の展覧会にもいくつか行っているし、映画も何本か見て、新しい音楽にもたくさん出会った。動ける日はできるだけ散歩もした。

もちろん、読書家の人や映画愛好家や、本当に音楽が好きな人には遠く及ばない。
英語を勉強して息切れして、今の自分の「身の丈」も知ることができたというのもある(そのうち、もう少し元気になったら再開したいとは思っている)。
買い物はじゃんじゃん失敗し、欲望との向き合い方も少しは勉強した。

私自身は全く素敵な人間ではないが、素晴らしい、素敵なものにはたくさん出会った。
赤点かもしれない。しかし、ゼロではなかったのだ。

放っておくと記憶も薄れて、「ああ今年も何もできなかった」と思いがちだが、ほぼ日手帳やブログのおかげで、その時々を、何とか生き抜いてきたのだと思い出すことができた。

ブログを始めたのは、雨宮まみさんのこの記事が大きい。

【寄稿】ブログを始めるときに大切なのは、気軽に更新できて、思い出をたくさん引き出せること。そして…… ―― 雨宮まみさんから、2014年を“空白”にしたくないあなたに素敵なアドバイス - 週刊はてなブログ

 

何が悲しいって、決して充実してない1年ではなかったのに、それを思い出せないことです。「思い出せない」というだけで、すごく雑に毎日を過ごしてきてしまったような気持ちになるのです。

せめて1年を振り返ったときに、「今年はこんな素晴らしいものを観て、読んで、こんなことに挑戦して、こんなことに悩んで、喜んで、充実した1年だった」と感じられるように、ささやかな記録を残しておけばよかったのかもしれない。と、ときどき思います。

(中略)

人によって、思い出しやすいポイント、記憶の中で印象に残るポイントはそれぞれだと思います。今日行った場所、読んだ本、観た番組、天気や気温、着た服、笑ったツイートなど、それをブログにメモしたときには、ただのメモにしか思えなくても、あとで見返すとそこから、その瞬間にしかなかった空気が立ちのぼってくることがあります。

それは、ちょっとぞっとする体験でもありますが、面白い体験でもあります。確実に言えることは、そうして思い出してみると、常に何かを感じ、何かを考えて生活していたわけで、「無駄に生きていた瞬間なんて、一秒もなかった」と思える、ということです。

 

そう、私は私で生きていたのだ。そして、これを読んでくださっているみなさんも。

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そして2017年の手帳にもまた、「死ぬまでにやりたいこと100」を書き出している。
まだ1/3ぐらいしか書き出せていないのだけれど。
それでも2016年に書いた「やりたいこと」は、100個中38個も叶っている。びっくりだ。それだけ達成容易なささやかなものが多いということでもあるが、自分にとって「やりたいこと」なんてそんなものなのだ、ということはわかった。己の欲望に「上手く」従うと、快楽が得られることもわかった。

来年も良い年にしたい。できれば復職もしたい。さらに言えば、寛解もしたい。
たくさん願うことは罪でも何でもない。それがわかったことが、今年一番の収穫かもしれない。