砂漠の街、メルズーガに着いた頃には、すっかり夕方になっていた。
砂漠といっても、岩石砂漠であれば山を越えてからずっと続いている。メルズーガの何が特異かと言えば、「砂の砂漠」であるということだ。日本人が砂漠と聞いてイメージするような大砂丘が広がっている。
しかし、この「砂の砂漠」も延々広がっているわけではなく、砂丘の上から少し目をやれば、岩石砂漠や、緑の広がる大地がすぐそこにある。
泊まるのは大砂丘からすぐのところにあるノマドのテント。
夜にはベルベル音楽でパーティー。
月が出る前に満点の星空を見に行く。
朝は暗いうちからラクダに乗って砂丘へ出発。降りてからはひたすら砂丘をのぼり(砂に足が取られて本当にキツかった)、大砂丘の頂上から朝日が上るのを見ていた。
高校時代の現代文の教科書で、「砂漠には絶対の孤独がある」といった文章があり、それを読んで以来砂漠に行くことは私のひとつの夢でもあったのだが、今回の旅で感じたことはまるっきり逆だった。
砂だらけの場所でも、そこに住む人がいる。観光地としての利用価値を見出し、ホテルを経営したりラクダに観光客を乗せることで、生計を立てようとする人がいる。
なんというか、たくましいというか、人間って住めるところには限界まで生息するんだな、という実感。
複数人での旅行だったということもあるかもしれないが、音のない砂漠に行っても孤独の中で自分個人の存在が丸裸になって際立つということはなく、むしろ自分の存在が他の中に埋もれていく。
良く言えば、それは「YOU ARE NOT ALONE」というメッセージなのかもしれない。
少なくとも、私は日本の自分の部屋でひとり悲しみで蹲っている時の方が孤独であるし、他者との越えられない壁に囲まれ、救いの無さを感じることが多い。
本当の孤独は、日常生活の中にあるんじゃないか。
ちなみに、件の文章を読んで以来、「砂漠で誰かとコーヒーを飲む」というのが夢だったのだが、お湯が調達できなかったため実現できず。
次に砂漠に行くときは、お湯を湧かせる器具を持って行こう。