10:44 AM

日々

【備忘録】子育てがつらいと思う時のパターン

娘が生後3ヶ月になった。

再び娘を可愛いと思えなくなり、夫にワンオペ育児を長期的に頼みたくなったことがあった。何故そうなったのかが明らかなので備忘録として書き残しておく。

 

子育てが辛い時は、自分が辛い時だ。

自分がそこそこ元気で、余裕のある時は娘が可愛く思える。泣かれても都度対応できる。

だが自分が体調不良で、もっと言えばうつ状態がひどい時には、娘が恐ろしい裁判官に思える。

私はうつ状態の時はひたすら眠りたい。というか辛すぎて何もできない。だが、赤ちゃんにそんな事情は通じない。あなたが具合悪いから私は自分でミルクを飲んでオムツを替えますなんて言ってはくれない。お腹すいた、お尻が気持ち悪い、眠い、退屈だかまってくれ。娘の泣き声は、お前はダメな母親だと私を断罪しているように聞こえる。

もちろん娘にそのつもりはない(はず)なのだが、私にとって子育てが辛い時は、自分の体調が悪い時である。そんな時が来ないように、低空飛行でもいいから飛び続けられるようにするのが第一だが、そうなった時に備えてファミサポなど各種支援の制度を利用できるように整えつつある。とにかく健康管理には気をつけよう。

 

娘、生後2ヶ月半+α

やっと娘を「可愛い」と思う気持ちが安定的になってきた。精神科の薬が効いているのか、産後崩れに崩れたホルモンバランスがやっと落ち着いてきたのか。

ベビージムに夢中になり、ぶらさがっている物(揺らすと音が出る)の仕組みを理解して触っているのが愛らしい。

親バカだと思うが、親バカでいいのだ。子供を可愛いと思えないのは辛い。他ならぬ私がそのことを知っている。

 

娘は必ず理由があって泣く。泣いている時におもちゃは効かない、さらに怒られるだけ。


・お腹空いた(常にギャン泣き)
・オムツが濡れている(横になっている時はフーフーグズる、抱っこしている時はギャン泣き)
・かまってほしい(=抱っこして歩き回れ、それ以外に選択肢は無い。だいたい最初はグズり、無視され続けると怒り始める)
・嫌だ(主にお着替えや帽子を被せた時など。ギャン泣きだが怒っているのが明確にわかる)
・眠い(常にギャン泣き)

 

娘はギャン泣きする時、私たち親に「怒りの鉄拳」を喰らわせる。その姿もまた可愛いのだが、泣いている理由がわからない時は、わかってあげられないことに困ってしまう。どうにかしてあげたいと思いながらもひとつひとつ確認するより手立てがない。

そろそろミルクの時間ではないか。オムツは濡れていないか。(素晴らしいことに最近の紙オムツは外から見て濡れているかが色でわかるようになっている)抱っこして歩き回ったら泣き止むか。それでも泣き止まないなら、だいたい眠いから泣いている。しばらく歩き回ったら寝る。

 

かくして毎日泣き声を何回も聞いているのだが、笑顔を見せられるとこちらまでニコニコしてしまい、可愛さで全てが吹っ飛ぶ。親バカである。だが親バカでいいのだ。

 

それでーいいのだー

それでーいいのだー

今年の抱負の回収

あと1ヶ月で今年も終わりですね。

新年に立てた抱負をあと1ヶ月で回収せねばと見返してみたら、

「健康第一だが健康は運によるものが大きいので

・体調を崩しても落ち込まない
・心の調子を崩しても「私はダメな奴だ」と二重に落ち込まない
・極力穏やかに過ごす(もう興奮と絶望を繰り返すのに疲れた)
・身体が弱いからこそ、病気を抱えているからこそ他の人に対してわかること、できることがないかを常に探す。」

Facebookに書いてました。(忘れてた)

いや、妊娠で体調崩しまくったし、相変わらず興奮と絶望を繰り返しまくってました。心の調子も散々崩しましたし「私はダメなやつだ」も散々思いましたね。
最後のひとつは、逆に周囲の方々に助けられる側でした。とりあえず妊婦さんと新生児のお母さんのしんどさは多少わかったので今後は一層善い人間になりたい。

という訳で、ラスト1ヶ月はハッピーに過ごそうと思います。終わり良ければ全て良し!

娘、生後2ヶ月+α

・手をしゃぶるようになった(育児本曰く、自分の手を確認しているらしいので止める必要はないらしい)

・唾液が急激に出てきた(よだれ)

喃語を話す。いっぱいお話しする

・オムツ替えに協力的になった。以前はギャン泣きしていたが、どうやらやってもらえるとスッキリすることがわかってきたのか、交換の時機嫌よく大人しくしている

・夜結構寝てくれる。長いと朝まで。

・ミルクを飲むのが上手くなった。

・抱っこして立っていないとよく怒る。

・縦揺れが好き。そのついでに私はカーフレイズやスクワットなどしております。

・笑う

・泣き声にパターンが出てきた。しかし大人の側は聞き分けができない

→追記:ある程度判別できるようになりました。お腹減った時はギャン泣き。オムツの時はグズグズ。甘えたい時にはふーふー言う。眠い時もギャン泣き。

 

気づいたことがあれば追加していきます

娘を産んで2ヶ月経った。

娘が新生児や1ヶ月の頃、私は病んでいた。

里帰り出産をしたので母のサポートはあったが、産後のホルモンバランスの崩れか、娘を可愛く思えなくて辛かった。自分なんていない方がいい、お母さんに育ててもらった方がこの子にとって幸せ、などと否定的なことを考え、子供を可愛いと思えないなんてこんなんじゃ母親失格だ自分は死ぬべきだとまで考えていた。

 

生後1ヶ月半で新潟から兵庫の自宅に帰ってきて、ある日から娘が可愛いと感じるようになった。それは精神科の薬を変えたからかもしれないし、産後崩れたホルモンバランスが整ってきたからかもしれない。

何よりも子育てが少し楽になった。夫は2ヶ月半育休を取ってくれているし、娘は夜中起きないで朝まで寝てくれる日も出てきたし、それまでミルクを与えるのに毎回1時間かかってメンタルをガリガリ削られていたのが20分ぐらいで済むようになった。特にミルクの時間が短くなったのは大きい。

娘は喃語を話し始め、「あう」や「あい」、泣く時も「ふー、ふー、」などと言っている。それが可愛い。

さらに笑顔も増えてきた。出産後も早い段階で笑顔(感情によるものではなく反射であり、生理的微笑というらしい)は時々出ていたが、最近は反射と感情の両方で笑っている気がする。笑っている時は機嫌が良いから、な気がする。

 

そして「女性が子供を産んだらお洒落をしなくなる」ことが世間では「あるある」扱いされている理由がわかった。

子供を抱っこするからボタンやジッパーのついた服を着られなくなるのも(顔に傷をつけたくないから)、洗濯機で洗える服しか着ないのも(そもそも赤子の吐き戻しで汚れまくる&手洗いしたりクリーニングに出しに行く暇がない)ありますが、何より「試着」ができねェ〜〜!!子供のいない状態で実店舗に買い物に行けねェ〜〜!!オンラインで写真を穴が開くほど見つめて自分に似合うかをジャッジしなければいけない、これが世のお母さんたち(お父さんも)の抱える問題です。服を買うのって急ぎじゃないことが多いから、子供も預けづらい。本音ではみんなお洒落したいんだろうと思うけど、優先順位のトップに子供が来るのでかなり制限がある。Tシャツやスウェットしか着られない制限の中でのお洒落を工夫したいな。

っつーか「妻が子供を産んでからお洒落しなくなった」だの「女として見られない」だの言ってる世の中の男性ってどうよ。そういうことを言う人に限ってお洒落じゃない気がする。自分の私服に力を入れていない人でしょ。そして子育てに関与してない。赤ちゃんをずっと抱っこしていたら見えてくるものがあるはず。

ファッションオタクの旦那さんだったら、奥さんと2人でどんなファッションができるかあれこれ考えるんじゃないかなあ。

ちなみに我が家では夫が「娘ちゃんを抱っこするからボタンやジッパーのついた服はあかんわ」ということに気づき、ユニクロに何もついていない無地のフリースを買いに行ってました。

やってみないとわからないことってありますね。


とりあえず、娘を可愛く思えるようになって良かった良かった。

抱っこなど左右非対称な動きをするためか、ミルクの時も前屈みになりがちだからか、左側の腰がずっと痛いんだけどこれは治るのかなあ。治るといいなあ。

種の繁栄のための遺伝子のたくらみ

前回、出産のことを覚えているだけブログに書きつけた。

しかし、これは実は出産から少し経った今だから書けることだ。

 

出産直後は少しハイな気分だった。

達成感があるのだが、恐ろしいことに出産の痛みが遠い記憶に感じるのだ。陣痛がどんな感覚だったか、詳細を思い出そうとしても思い出せない。

どうやら脳内ドラッグによって、人類は出産の痛みを都度忘れ、何人も産めるようになっているらしい。だから今日78億人もいるのかと納得した。

だがそのドラッグも数日で切れ、理由のない不安感に襲われるようになる。胸のあたりがざわざわする。

産後はホルモンバランスが急激に変わることにより、メンタルがガッタガタになるらしいとは聞いていたが、案の定というか、予測を超えた頻度で波のようにやってくる不安感に襲われるようになった。精神科でもらっている頓服もあまり効かない。

 

退院した今は、軽い筋トレやヨガなどをして運動によるハッピーホルモンで不安に対抗しようとしている。ホルモンの働きはホルモンをもって制す。とはいえ娘の世話をしている時はそうもいかない。早く落ち着くのを願っている。

娘の誕生

少し前に娘が産まれた。

産んだ、と表現してもいいのだけれど、産まれてくるタイミングを選んだのは彼女だ。

 

深夜に破水、病院に連絡、即入院。

内診してもらうが、子宮が十分降りてきていないと言われる。一日待ってみて、ダメなら誘発剤を打つと言われる。

一晩寝て、朝から波のようにやって来ては引いていく痛みを経験。

この頃は

「(「春に」の節で)

この痛みは何だろう〜♪この痛みは何だろう〜♪喩えて言えばレッグレイズやりすぎた時のような〜♪舟のポーズで全然身体が上がらない時のような〜♪」

「陣痛は例えて言うならば生理痛と、腹筋トレーニングやりすぎた時の筋肉痛を合わせたような感じで、それの強化版だな」

などと考えるぐらい余裕があった。

昼過ぎから痛みが酷くなる。助産師さんに「子宮の痛みじゃなくて、赤ちゃんが下に降りてくる時の骨盤の痛みかもしれない」「もう少し待ってみて、明日の朝採血して感染してなければ誘発剤、感染があれば緊急の帝王切開」と言われ、こんなに耐え難い痛みなのに!と絶望。その日のうちに産むことはないだろうと言われ、モニタリング続行を言い渡される。人間はあまりに酷い痛みに見舞われると全身が痙攣することを発見。

夕方いてもたってもいられなくなり、ナースコール。怒濤の勢いで子宮口が開いていったらしく、16:30頃だろうか、気がつけば車椅子に乗せられ分娩台へ。

分娩室では謎のオルゴール音楽がかかっていた。

寄せては返す痛みの波。痛さの大きな波が来る時は「フーッ」と長く息を吐け、と言われるがそう上手くもいかない。何度もガクガク痙攣し、分娩台の手摺を強く掴む。痛さが少し引く小休止の際は完全に脱力し深呼吸して赤ちゃんに酸素を届けるように言われる。時間が無限に感じられた。飽きる。

いきむのは出産の最後の方のみ。そこまでは赤ちゃんが産道を通るのを待つ。

とはいえ、痛みの波に合わせていきむのも何回やったかわからない。痛さの波が来た際に息を吸って、止めていきみ、また吐く。これを1〜2回。小休止の際は脱力・深呼吸。正直、途中で飽きた。出産は体力というけれど、どちらかというと「飽きない力」というか集中力、精神力が大事だと思う。

気が遠くなるような繰り返し作業の後、「次、3回連続でいきみます」と言われて3回目でズルっと赤ちゃんが出てきた。産むまで心の底からは信じられなかったけど、本当に人間がひとり入っていた。産声を聞き、「呼吸して〜」と産まれたばかりの赤子に声をかける。

すぐに小児科の先生が診察してくださり、呼吸にヘルプが必要とのことで一瞬の写真撮影の後娘はNICUに連れられていった。この手で抱く暇もなかった。

19時半頃誕生。後から超安産でしたねと言われる。そうかなあ。

娘は最初2週間ほどNICUに入院予定と言われたが、頑張ったのか、私と同じタイミング(1週間程度)で退院できた。

退院当日は安堵からか、実家に着いてから身体がバラバラになるような疲れを覚え、娘を母に預けて少し寝かせてもらった。

 

 

 

そして今、彼女は私の隣で寝ている。