10:44 AM

日々

マーティン・スコセッシ「沈黙-サイレンス-」

映画「沈黙-サイレンス-」を観て、その足で本屋さんに行き、遠藤周作の「沈黙」を買って、一気読みした。恥ずかしながら今まで読んでいなかった。でも読めて良かった。

chinmoku.jp

遠藤周作「沈黙」の映画版。


映画では凄惨な映像がダイレクトに来るので、主人公の心情や、神の「沈黙」のテーマに強く惹きつけられたが、原作の小説では、「日本にキリスト教を伝えても、神の形が日本流に変えられてしまう」「日本人は人間とは全く隔絶した神を考える能力をもっていない」「神の概念を持てない」といった、日本と西洋(と簡単にいっていいものかはわからないが)の思想的な違い、その間の深い溝に関する記述に目が行く。

しかしこれはキリスト教に限ったことだろうか。
特に映画では仏教が日本に浸透しているようなことになっているけど、「実は仏教も日本流に変えられている」と私は高校で習った。日本の仏教における極楽浄土信仰は、結局次のステップでの「現世」でしかない。日本人は現世利益信仰から抜け出せない。「輪廻転生からの完全な解脱」という概念が持てないのだと。
仏教にとっても、日本は沼地だったのだろうか?

 

観る人を選ぶかもしれないが、見応えのある映画。2時間41分という長さは全く感じない。
観た人、読んだ人と感想を話し合ってみたい。みんなどういう感想を持つんだろう?